masa81111のブログ

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岸和田 紀州街道にある”旧四十三銀行”のたてもの


岸和田城を下っていくと 紀州街道がある。このあたりも結構、見どころが多い。特に旧銀行の建物 今は他の銀行だったり役所だったりしますが、また、レストランとかだったりしますが・・・。どのビルもやっぱ お金かかってます的な また、レトロ感が最高の建物ばかりで 大阪市内のもたくさん残ってますが、やっぱ、この岸和田界隈にもおおいはず。


岸和田界隈はやっぱ 紡績じゃないですかね。紡績工場 特に有名な会社もあればで 取り合えずお金持ちになりましたって人々が多いと思う。また、紡績に関する工場や建物もたくさんある。それで銀行もたくさんあったんではないか?


■旧四十三銀行 今は別の看板です。




■旧四十三銀行
赤いレンガと花崗岩のツートンカラーで構成された歴史的重厚感のあるこの建築物は、大正8年に、旧 四十三銀行として建てられました。


現在も建築当時のまま活用されており、内部は柱が一本も無い吊天井となっています。
設計者は不明ですが、作風からして近代建築の巨匠、辰野金吾ではないかという説もあります。

岸和田 自泉会館 これも渡辺節の設計で・・・。


大阪湾岸線を岸和田方面へ、岸和田南のインターで降りて 左のほうに行くと岸和田城が見えてくる。その岸和田城の堀の横を少し上がっていくと 駐車場がある。その駐車場の前あたり ”自泉会館”がある。


■入口付近の石の塀が 石を切って積み上げている。
なかなか、最近の建築物にはない、今はできないのかも!


これも 渡辺節の設計で そのほか この坂を下っていくと紀州街道があって そのへのレトロビルも渡辺作のものがあった。この時代の渡辺節はすごい 大阪の高級といわれるビル その他、神戸の高級住宅等 作品が非常に多い。


■この階段 特徴的です。


当時のはやり作家?ですか。それで渡辺節の特徴は 階段で、らせん状の階段が壁につたってきれいに上に上がっている。大体の渡辺節設計のビルにはこの階段がある。



■このアーチもきれいです。


昭和7年に元南海鉄道社長寺田甚吉が岸和田紡績創始者 父である寺田甚与茂の偉業を記念して建てた。渡辺節設計 スパニッシュ様式で学術的にも価値の高い建物で 当時は自泉館といい、甚吉の会社関連の社交場として使われていたが、昭和18年に岸和田市に寄贈。その後昭和19年に金属供出によって 金属類を失ったが、昭和57年に修復された。その際の装飾品が見どころともなっている。

大阪築港の天満屋ビル 海遊館の近くです。

■地下鉄中央線沿いです。


大阪 海遊館に行くところの途中に 大阪天満屋ビルレトロな近代建築のビルがあります。この横のトンネルをくぐれば 南港に行きます。海底トンネルです。


■このアーチ感がいい。昔っぽい。


このへんの天保山、海遊館ができたころにこの地下トンネルができて 南港、北港の近代化っていうか?いろんな娯楽施設や、南港にいたっては、たくさんの住宅マンションができて 待ち状態になっていますが、まだまだ発展中です。


そのトンネルの際ぐらいに このレトロビルはあります。トンネルをくぐらずにユーターンして 海遊館に向けて左折する手前ぐらいにあります。この天満屋さんの左隣も結構知られてるレトロビルです。二つ並んで立ってるって感じです。


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このへんは、休日には最適の見どころ満載の地域になっていて、ユニバとかレトロな赤レンガ倉庫にある、レトロカーの展示してあるカフェとか トンネルをくぐって南港に行ってもいい。今回は天満屋さんの前に車を止めて写真をとりました。
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昭和10年(1935年)建築。当初は、天満屋回漕店の事務所兼住宅だった。茶褐色のスクラッチタイル、角に取られた大きなアール、丸窓を置いたモダンなデザインが印象的な建築物。現在も飲食店等に利用されている。港区では珍しい昭和初期のレトロ建築物で、モダニズムを感じさせる。丸窓や窓硝子が多く、明るい印象を与える。道路の嵩上げにより,従来の2階が主入口となっていて、2階はカフェに活用されており、地域に開かれた貴重な景観資源である。