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紀州街道 岸和田 ”吉田松陰逗留地”も情緒があっていい。



岸和田の紀州街道 少し南に歩くと 吉田松陰逗留地と称されるものがある。その上は大きな道路をへだてて 岸和田城ではあるが、吉田松陰とどういう関係が・・・?


■吉田松陰逗留地


■このような 風情があっていい。昔のホテル街って感じ?



どうも、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だったそうだ。相馬九方をたずね、塩屋平衛門宅(紀州街道、本町の久住家)に10日間滞在。火鉢にあたり番茶をすすり、煎餅をかじりつつ、日本の将来について夜を徹して語り明かしたそうだ。


長州を脱藩した松陰は、全国の藩校を渡り歩き、今後の日本のあり方等について議論を交わしたそうだ。結局、松陰は2回つかまって 2回目の老中暗殺計画である 間部要撃策を自ら進んで告白して斬首刑にされる。


この安政の大獄は、松陰の弟子たちによるものだとは思うが、松陰の起こした松下村塾の塾生たちは、その後この日本を担う偉人ばかりになる。いまだに総理は山口県ですし・・・。


■各町に 岸和田祭りの 
だんじりをしまうところなんでしょうか。


■この界隈のマップ これ便利です。



■持ち主の名前がある、結構女性が多い。
おかみさんなんでしょうか?


このころの話で興味深いのは、まっ 本当か嘘かはわからないが 伊藤博文が新政府の総理大臣になるが、この伊藤が明治天皇の替え玉を仕組んだ話があるが、王政復古を機に新政府を作り 今後の日本を 新しい日本を作るためには、天皇までを動かす必要があったそうで このころの各藩の勤皇の志士たちの 総合写真のなかに明治天皇もうつってたみたいで・・・。これは、松陰のおしえなのかな~って考えてしまう。


要は大事をなすためには ルールを超えて動く必要があるみたいな。結果を出すためには手段を選ばず的な発想で 一種、革命家の発想があるみたいだ。いろいろ勉強しすぎると枠を超すことは大したことではないと思うが、結構 信長的な発想だ。時代やね~!
とりあえず、松陰は岸和田藩校講習館の館長だったので この岸和田界隈にも よく滞在したそうだ。全国、飛び回って 自分の好きなことしてって 相当の放蕩ぶりですが どうでしょう・・・。